ガレージキットの社会学

少数生産される組み立て模型、ガレージキット。
プラモデルとは異なり、少数の者しか手にできないという希少性や
その精巧な作りで、人々の心をとらえて離しません。
たとえば、同じマンガやアニメの主人公をガレージキットにするとしても、
作者によって解釈が異なります。
マンガ、アニメは2D(二次元の世界)なのに対し、
ガレージキットは3Dなわけですから、造形美が問われるわけです。
アニメに忠実に精巧に、「まんま」ならば、評価が高い、というわけではなく、
むしろ「●●っぽさ」が重要だと思います。
3Dにしたらこんな感じだよね〜、と納得させる技術。
それは上手い下手を超えたセンスを問われるものです。

とはいえ、ガレージキットは一般的に高い(!)ものです。
最近、金欠ぎみのわたしは、ちょっと手が届かないほど
高額なものもあります。
先日、すごく気にいったものを見たのですが、
おカネが…、、、
金運UPのお財布でも買おっかな…

ガレージキットは大量生産、大量消費の正反対の文化と言えます。
少量生産、少量消費、とも言えるでしょうか。
意図せずして、この文化には、反グローバリズム的な側面を持っています。
こういった文化を「レア」カルチュアとでも呼びましょうか。
「サブカルチュア」が文化のメインストリームの「下支え」的な役割、
あるいは、補完的な役割を与えられてしまい機能不全に陥りがちだという事は
ここで言及しておきましょう。
しかし、「サブ」でも「メイン」でもないガレージキットの文化は
上位文化からの位置づけ、定義づけがされにく、
極めて取り込まれにくい文化といえるでしょう。